1957年9月5日 木曜会創立
残暑の夕闇の中、当時都市交通手段の主役であった市電の「田中関田町」停留所から三々五々降り立った男女は、手にしたチラシの地図を頼りに、「白百合幼稚園」を目指していた。
幼い日々を思い出させる小さな可愛い椅子に膝を抱えるように腰を下ろし、どんな人たちが集まって来るのか、どんな曲を歌うのか、期待とちょっとした不安が交錯する緊張感が漂っていた。
午後7時、配られた楽譜は「南の風の」。幼稚園の練習場にふさわしい、可愛い曲で有った。
こうして混声合唱団京都木曜会は「呱々の声をあげた」
(混声合唱団京都木曜会30周年史より)
1959年 第1回演奏会
創立から数年はロシア民謡など
当時の団員になじみ深い曲を歌いつつ
技術的な蓄積を積んでいった。
1968年~ ポップスステージの登場
1970年「南太平洋」からフォークソングをはじめとする
ポップス曲のステージを構成
1974年~ モーツァルト ミサ曲の連続演奏
1976年から1998年まで、全18曲を演奏
1978年「白雪姫」からオリジナルスステージ
ポップスステージから発展、オリジナルのミュージカル(風)ステージへ
2008年 第50回演奏会
誕生から半世紀のお祝いをしました
2009年~ 新たな50年に向けて
気持も新たに次の50年に向けスタートしました
吉村信良について
木曜会の創立に参画
第2回演奏会から指揮を行う以後50回演奏会まで指揮を行った。
まさに、木曜会の育ての親ともいうべき人です。
木曜会のみならず、多くの合唱団の指揮・指導を行い、京都府合唱連盟、全日本合唱連盟の理事長も務め、「おやぶん」の愛称でみんなに慕われました。
2009年3月、全国の合唱人に惜しまれつつ逝かれました。
京都木曜会は、今でも「おやぶん」の思いを受け継いで活動しています。